アスキー・メディアワークス 英語&海外文芸 編集者ブログ

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2011-09-05 16:46:52

クドーの日記

クドーの事件簿 その6

●美人翻訳家 N尾さんのお宅を訪問の巻
 ある日、人生に関する深遠な思想に思いを巡らしながら眉間に皺(しわ)を寄せて出社すると、編集部の一角がぎゃあぎゃあ騒がしい。
 遠目に見ると、退社する大塚由里子の席の周りに、進行のツボウチ芳子、奥村智、バイトの松井が禿タカのように群がり、放出品を奪い合っている。
 ツボウチは、この前も、辞めた浅野から小型テレビ(実は編集部 ユッキーの持ち物)をふんだくったばかりではないか……。ツボウチは何でも欲しがる。いつしかその喧噪は、私の耳の中で次第に小さくなっていき、私の心は完全に、数年前のあの日に飛んでいた。


 数年前の日曜日、ツボウチと私は、美人翻訳家 N尾操子さんのお部屋を訪ねていた。スタンフォード大学で一緒に学んだドイツ人と結婚したN尾さんが、その高級マンションの一室を引き払うので、その放出品をタダでいただくためだ。


 駅からマンションに向かう道すがら、「何でもN尾さんのお部屋って、家賃ウン十万円なんだって!!」と喜ぶツボウチの目の光に、その後の惨劇を予感させる片鱗(へんりん)があったことを、今から思えば、当時の私も薄々(うすうす)は感じていたのかもしれない。


 到着したN尾さんのお部屋は、期待に違わず、高層にあって見晴らしのよい、清潔な感じの、何部屋もある豪華なものだった。
「うわ~、さすがにいいお部屋ですね~」
と私にうれしそうに目配せするツボウチは、
「うらやまし~い。旦那さんもすてきなドイツの方とか?」
なんて、いきなりのヨイショモードに突入。
「ああ、夫の写真なら、その棚(たな)にありますよ」
と言われ、すかさず写真立てを手に取るツボウチ。よく見もせずに、
「あら、素敵な方!」
なんていい加減にほめると、
「……それはオランウータンの写真です。私の夫はその下の段です」
と、つっこまれていた。私が慌てて、
「いや、いくらドイツの方とはいえ、毛深すぎるなぁ、とは思ったんですが……」
とフォローしたのだが、当のツボウチはさして気にした様子もなく、すでにきょろきょろと室内を物色し始めていた。


 我々が到着する前に、室内ではすでに大半の片づけが済んでいた。私は隣の部屋に移り、あらかじめもらう約束になっていたベッドを分解し始める。すると、掃除機をかけながら、N尾さんがやってきた。
「ベッド、バラせますか?」
「ええ、何とか」
 そう言ってさわやかに汗をぬぐう私の視界には、N尾さんの背後を追ってきたツボウチの姿が……。
「あら。あのアイロン台も、すてき!」
「え、ええ。よかったら、どうぞ」
「アイロン台、持ってるんじゃないの?」
「でも、あのアイロン台、しゃがまなくていいタイプだから、楽だもん」
「ええ、そうですよ。持っていってください。よかったら、その押入れに入っている衣装ダンスも、どうぞ」
「う~ん、どうしようかな……」
 むむ、これは欲しくないサインだ。雰囲気を壊さぬよう私が、
「何に使ってたんですか?」
と適当にフォローすると、
「私の下着類を入れていたのですが……」
との意外なお言葉。理由はわからないが、なぜかうれしくなってしまい、
「ちょうどなかったので、私がいただきます」
とつい言ってしまった私だった(しかしその後、引き出しをあけたら、当然のことながら空っぽだったのが妙に淋しく、「あの~、ブラかパンティの切れっぱしでもいいから、おまけで付けてくれませんか?」と言ったが、断わられてしまった)。


 そんな私の微妙にゆれ動く気持ちを知る由(よし)もないツボウチは、
「それより、その掃除機って、吸引力、強そうですね~」
「あら、どうぞどうぞ。差し上げますよ」
と、着実に必要な品を取りそろえていく(帰り道でツボウチが、「あんたには代わりに我が家の吸引力の弱い掃除機をやるワ。もう要らないから」なんて言っていた。誰が要るか!)。
 といった調子で室内を物色するツボウチのテンションはどんどん上がっていき、お菓子の山の中に落とされたアリのように、せっせとお宝を運び出している。しまいには玄関にあったガラス細工の置き物(断わられた)から、使いかけの洗剤まで欲しがる始末。中でも、どうなることかとさすがに恐ろしかったのが、ツボウチが手を後ろでちょこんと組んで、壁に掛けてある高そうな絵をじ~っと見ていたときのことだ。そのときはさすがに、
「その絵は私が持っていきますので」
とN尾さんに先に釘(くぎ)をさされていた。
 そして、事件は、物色もあらかた済んだ後の、コーヒータイムに起こった。
「へぇ~、このコーヒーカップ、かわいい」
「あら。では差し上げますよ」
「このコーヒー皿とスプーンもセットで、いいですか?」
「え、ええ。もちろん、全部お持ちください」
と、最後まで攻撃の手をゆるめないツボウチ。しかし、あんな悲劇が、最後の最後に待っていようとは……。
「で、コーヒーにお砂糖は、いくつ入れますか?」
「ええと……。あっ、そのお砂糖入れも、すてきですね!」
「……そうですか。これ、コーヒーの空きびんのラベルをはいだモノなんですけど……」
 ラストにきて、いきなり審美眼(しんびがん)のなさを露呈(ろてい)したツボウチ。しばしの沈黙の後、
「じゃあ、中身の砂糖だけでイイヤ」
とめげない女なのであった。

2011-08-25 21:56:06

クドーの日記

クドーの事件簿 その5

●クドーの人間の研究 の巻


■実験1~期待が裏切られたときの人間心理の変化に関する考察


<実験準備> 家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験のために家族の誰よりも早起きし、朝刊をポストから取り出す。次に、4コマ漫画(コボちゃん)のオチのコマ(4コマ目)全体に、ご飯粒の固まりをコネコネして親指大にしたたもの(以下、コネコネと略す)をまんべんなく薄く伸ばして貼り付けておく。


<経過>朝、起きてきた弟(当時小学生)が新聞の4コマ漫画を読み始める。4コマ目にカピカピに乾燥したコネコネがこびり付いていて読めないので、指で慎重にコリコリはがそうとするが、結局、コネコネといっしょに新聞誌面がそっくりはがれてしまう。


<結果>弟は「オ、オチが読めない!!」と言ってテーブルをたたいて怒っていた。家族も「なんでおまえはそういうことをするんだ!!」と怒っていた。


<考察>コボちゃん程度の漫画でも、オチが読めないと、人は異常にストレスを感じるということがわかった。


■実験2~人間の感情の不可思議な変化に関する考察


<実験準備>家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、コネコネを十数個制作する。次に、そのコネコネを、朝食用テーブルの弟(当時小学生)が座る場所の手前側面に、すべて貼り付けておいた。


<経過>朝、家族で食事をとろうと席についたとたん、弟が突然、「な、なんじゃコリャ~っ!!」と言って驚いていた。


<結果>親が「おまえは何の意味があってそういうことをするんだ!!」と怒っていた。


<考察>それ以前に、同様の実験をコネコネ1個で試行した場合は、弟が驚くことも、親が怒ることもなかった(「汚いなぁ」の一言で済んでいた)。このことから、コネコネがたくさん並んだ時点で、なぜか人はひどく不快に感じるようになる、ということがわかった。


■実験3~人間が不可解な現象から幻想を創り出すメカニズムの洞察


<実験準備>家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、あらかじめ実験用に購入しておいたヤマザキの「わらび餅」(夏になるとコンビニなどで発売される、透明わらびもちが鬼のようにたくさん入っている食品。白と水色のストライプの容器に入っているのが目印)をすべて一気にコネコネして、プリンスメロン大の白濁(はくだく)したぷにょぷにょした物質(以下、大コネコネと略す)にする。その大コネコネを、居間のテーブルの真ん中に配置。その位置上部の天井にも、大コネコネの一部をくっつけておいた。


<経過>朝、居間の掃除を始めた母が大コネコネを発見した模様で、すぐに寝室のある2階に駆け上がってきた。


<結果>母は寝ている父を起こして1階の居間へ2人で移動。その後1階から、「変なものが天井からたれている」と両親が騒いでいる声が聞こえてきた。その後、大コネコネは正体不明のまま、おそるおそる廃棄されたのだった。


<考察>小さいと不快呼ばわりされるコネコネも、サイズが大きくなると、人間にある種の神秘性を感じさせることがわかった。


■実験4~人間が確信を深めていくメカニズムの観察


<実験準備>実験3から数週間後の、家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、再び大コネコネを制作。その後、2階の弟の部屋に忍び込み、寝ている弟の顔のすぐ脇に大コネコネを配置しておいた。


<経過>朝方、弟の部屋から突然、「な、なんじゃコリャ~っ!!」と驚く声が聞こえてきた。両親が弟の部屋に行き、「また、たれてきたか……」などと天井と大コネコネを交互に見ながら、話し合っていた。


<結果>神秘的な出来事も二度起こると、次第に「起こるべくして起こったこと」として受け入れられ始める、ということがわかった。

2011-08-22 20:53:48

クドーの日記

クドーの事件簿 その4  我が生い立ちの秘密を語る? の巻

我が生い立ちの秘密を語る? の巻


 おかげさまでクドーの事件簿、本誌連載時よりも、Webに掲載/再録されている現在のほうが周囲の反響が大きい。エンターブレイン・ファミ通情報管理局に田口輝之という大学の級友がいるが、彼などは「お気に入り」に入れて読んでくれているそうだ。ありがたい。あらためてこういった場を与えてくれた現・月刊アスキー編集部に感謝したい。


 記事掲載後、我が社のお偉いさんである「土屋信明」「宮野友彦」らの名前をGoogleで検索すると、わたしの記事がトップに来るようになったのも、まためでたいではないか。なのに宮野などは「最悪だ、クドウ!」となぜかご立腹で、土屋秘書のM崎嬢にも「クドーさん、キライ!」とののしられるなど、社内好感度はイッキ低落、肝心の登場人物のみなさんにはあまり喜ばれていないのが不思議でもあり残念でもある。


 そういえばかつて、世間に名を売ることを夢見て上京してきた一人の男がいたのを思い出した。我が父、工藤鐐亮(りょうすけ)その人である。そこで今回は(社内ネタでいくつか書きたいことはあったのだが、それはおいておいて)、手前みそで恐縮だが、我が生い立ちにも関わる父の話を、父への冥土のみやげ的ニュアンスもかねてお届けしたい。


 我が父は青森県の津軽出身。歌手を目指して上京するも、歌謡学校で「あんた、なまりがとれないね」と一刀両断にされ挫折。その後、加藤製作所というクレーン製造会社に勤務し、必ず午後5時半に帰宅、大相撲と野球を見ながらビールを飲むのが「最高! 生きてるの最高!」みたいな感じになった、スケール小さめの男だった。


 かなりの田舎者で、都会人は今でも父の発音を聞き取りにくいようだ(たとえば、「ともえ」はわたしの耳にも何度聞き返しても「ともい」としか聞こえず、父に教わった場所に向かうのなどはひと苦労である。交番に聞いても"「ともい」なんてこの辺にはない"とむっとされるからだ)。地元にはじめて「すかいらーく」がやってきて、テーブルで初めてスジャータみたいなの(コーヒー用の液状ミルク)を見たときも、「ずいぶん小さいカップに入った牛乳だなぁ」と思いつつそのまま飲んで、何杯もおかわりしていた(「カップが小さすぎて飲みにくい! うまいけどな」と怒りつつも都会の味に感服していた)。


 小物という意味では、錠剤の薬を水無しで飲めるようになったのがかなりの自慢の種だったことも思い出す。よく、「俺なんか薬を水無しで飲んじゃうもんね」とか言って、つまらない実演をよくしてみてくれたものだ。歌手になりたい野望は、近場の人々でつくった民謡クラブ、歌謡クラブへの参加ですっかり満たされている様子である。30歳頃から尺八(世に言う比喩的な尺八でなく、本物の楽器の尺八である)を勉強しだし、貧乏なくせに何本も尺八を買い集め、ナッツみたいなのがはいった油っぽい袋でいつも尺八を片っ端から磨いて満足げに休日を過ごしていたのを思い出す。2階にわたしの友達が遊びに来たりすると、なぜか1階で尺八の練習を始め、こびてルパン三世に出てくるみたいなフレーズを吹きまくったりするので、恥ずかしかった。


 かと思うと大物っぽいところもあった。父はよくステテコに腹巻き姿で、植木(小さな一軒家を取り囲むようにまさに"山"ほど植木があった。貧乏なくせに、それなりに貧乏なアイテムを山のように集める癖があるのだ。その後は提灯を集めだし、一時、我が家にはすべての部屋に360度提灯が飾ってあって毎日が祭り、この家は山車か、みたいな状態になっていた。誰かが旅行に行くと聞くや、すぐに電話をかけ、その地方地方の提灯をねだるのでかなりいやがられてもいた。また、母親は提灯の価値がわからず、よくハタキをかけて提灯を破壊、落下させるので、夫婦げんかの種にもなっていた)――ええと、なんの話だったか、そう、ある日、父がステテコに腹巻き姿で植木に水をやっていたときのことだ。わたしと母が、「そろそろ新しい家にひっこしたいねえ」と、なんとはなしに雑談をしていると、ステテコ姿の父が10分ほど姿を消してから戻ってきた。そして、「おおい、買ってきたぞ」と言う。「何を?」と問い返すと、「新しい家を」とのことだった。


 我が父は30代になってから太りだし、食に対する欲望が異常に強まった。帰宅して相撲を見ているときに、おかってで料理をしている母親に「飯はまだか!」と毎日何度も呼びかける。「まだよ」と返事があると、それに腹を立て、「ゆういち、ストーブの上で餅を焼け!!」と命じる。母親が「それでご飯を食べられなかったら承知しない!」と台所で怒っていたが、「そんなの平気だい。おい、ゆういち、餅をあるだけ焼け、6個焼け、6個」とかいう。はたして、6個焼くと、ちゃんと全部食べてしまうのだからたいしたものだった。ただし、その後、夕飯が出てくると、母親に「今日はご飯は一膳だけでいいや」と情けないことをおずおずと言っていた。それを受けて母親がついだ一膳は、高さが20cmはある超大盛りの一膳だったが、それでも泣きながらなんとかたいらげていた。


 そんな父の背中が、かなり小さく見えたこともある。父は宝くじなどで一攫千金を夢見るのが大好きで、毎回買っていた(ついに一番下位の、誰でも当たる金額しか当たったことはなかったが)。そんなある日、「ゆういち、植木に水をやるから、テレビで発表される当選番号をメモっておいてくれ」という。そこで、父を喜ばせようという子心から、こっそり父のしまっておいた宝くじを取り出し、2等の当選番号として父の宝くじの番号をそのまま書き写しておいた。植木に水をやり終えた父が、当選番号をチェックしはじめる。わたしはよそを向いて宿題かなにかして素知らぬふりをしていたのだが、途中で背後から異様にうれしそうに「ゆういち、これなんだ? これ見てみろよ、おい。これなんだ?」とうわずった声が聞こえた。振り返ると、狂ったような、異様な目の光をした、驚喜をなんとか押さえ込もうとする顔をした父がいた。もう少しネタをひっぱるつもりだったが、「人は宝くじが当たると、こんなにも狂ったような顔をするのか!」と我ながら驚くほどの、これまでに見たこともない人間の顔がそこにあったため、すぐにネタをばらしてしまった。父は、「なあんだ、そうか。やっぱりなぁ」と何のダメージも受けていないような力ない笑顔を浮かべて立ち去ったが、なぜかその後終わったはずの植木への水まきをふたたびはじめ、何時間も戻ってこなくなってしまった。あのときのさびしそうな背中は忘れられない。


 時が流れ、わたしのアスキーへの入社が決まり、わたしはついに実家を飛び出し、初の一人暮らしをはじめることになった。それに際しては、父は「それにはいろいろ買いそろえないとな! 俺に任せておけ」と異常にはりきり、わたしがバイトしてためた貯金を使って、タンスだのなんだのをふんだんに買い物するのを明らかに楽しんでいた。果たして、購入物の中には、わたしが一生使うはずもないであろう銀のケーキサーバー(ケーキをすくって並べるしゃもじみたいなの)などもあり、人の金ではしゃぎまくって買い物をした跡ありありで、もう彼には二度と金を預けまいと誓うのに十分な活躍をしてくれたのだった。


 そんな父も数年前に定年を迎え、私も36歳になった。私が10歳だったころの父の年齢とタメになったのである……まぁ、なんの感慨もないわけだが。


 思えば、その年齢の父は働き盛りで一番輝いていたのかもしれない。当時の加藤製作所では秋に大運動会が開かれ、そのクライマックスに部署対抗仮装パレードが用意されていた。クレーンを製造する機械を使って仕事そっちのけで一ヶ月くらいかけて作った、クレーンを大改造した煙を噴く巨大竜だの、ものすごい金と労力のかかった大仕掛けな出し物が多かったのを覚えている。そんな中、我が父は、重い鉄の板を曲げて作ったドラえもんの仮装で登場。八頭身ぐらいのドラえもんで、頭が小さく、やたら胴だけが長い、ドラえもんらしき色が塗られてなかったら、明らかにドラえもんに見えないコケシのような仮装だったが、我が父がその重い鉄板をかぶってよろよろふらふらとグラウンドに登場するや、ちびっ子たちがむちゃむちゃその周りに集まって握手をせがんだりして、押すな押すなの大変な事態になっていたのを覚えている。思えばあのときが、我が父が人生においてもっとも人気を博した、有名人になった瞬間ではなかったか。そう思えば、なかなか楽しい人生を送っているとも言えそうである(父は「人生に後悔はなく、いつ死んでも満足だ」とよく言っていたものである)


 一人暮らしをするようになって十数年、実家には数度しか戻っていない親不孝なわたしであるが、こう思い出を振り返るだけでももうおなかいっぱいになり、しばらく家に戻りたくなくなるのであった。それだけいまだ身近に感じてるってことだけど。

2011-08-19 22:24:30

クドーの日記

クドーの事件簿 その3

月刊ASCIIとアジャの深い関係


 麹町は日本テレビ前にあるアジャンタ(以下、アジャ)の激辛カレー。それは月刊ASCII編集部の面々にとって最高のご馳走である。ことアジャのこととなると、「買い出しに行くことを俺に言わなかった!」とかなんとか、子供じみた喧嘩まで発生してしまう、陽気なみんなの大好物だ。
 最近は週に数回のペースでしか買い出しに行かないが、私が入社したての'91年頃は、どんなに忙しくても毎晩午前2時ごろ、アジャに買い出しに行かされた。私は編集の仕事より先に買い出しに習熟し、「クド~」と月刊ASCII編集長 遠藤から呼ばれると「は~い~」とアジャに出かける「アジャ番」を仰せつかっていた。私は学生時代の就職活動の際、日テレ・プロデューサー試験(セミナー)のため1カ月以上の間、日本テレビに通いながら「ここに毎日通えるようになりますように」と神様に祈っていた。日テレの最終面接には落ちたが、その願いだけは、奇しくもかなった形だった……。
 アジャ番は、決して楽な仕事ではない。交通指導員も30分で交代するような激寒の吹雪の中、1時間近くも手をあげながら、アジャへのタクシーを捕まえようとしたこともある。それでも捕まらず、編集部に戻っても、「もう1時間だけチャレンジしてくれ~」と遠藤に甲高い声で言われれば、再び外に出ねばならないのだ……(そのときは、なんとかアジャに行け、うれしかった)。
 よって編集部最高のおもてなしは、アジャであり、これが出てきたら、編集部の人間は相手に最大限の礼儀を尽くしていると考えて、まず間違いない(接待にかこつけて、自分たちが食べたいだけという説もあるが)。以前も、熱で倒れている他部署の人を電報で呼び出し、徹夜で仕事をしてもらったお礼として、アジャがふるまわれていた。相手は数口食べただけで水をがぶ飲みし、「もう舌がしびれて食えません。勘弁してください」と涙ぐんでいたが、理由を解せない遠藤は、「こんなにうまいものを……!」と呆然としていた。
 そんなこんなで、21世紀を迎えた現在でも、週に2~3回はアジャ便が出ているのである(不景気とアジャの値上げのため、回数は減った)。
 そんなある日、会社に出勤すると、編集部の人間全員に、編集部のクボキ女史から次のようなメールが届いていた。
--------------------
単行本のクボキですがお願いをひとつ。
あの~、アジャの飲食物関連残骸なのですが、片づけてね。
袋がほってあるのはいいとしても、
容器があってもかまわないとしても、
しるがシルが汁が……机にこぼれているのもガマンするとしても。
ああ、汁がマシンにかかっていたりするのはかなりつらいかも。ああ。
こぼさないで食べてがんばってくださいね。
--------------------
 この時点で、編集部員全員の頭の中にあるひとつの共通像が浮かんだのだった。イスにだらしなく座ってアジャを食べている、遠藤の姿である。遠藤はものを食べるとき、必ず、汁や具をあたりや服に飛び散らして、おかまいなしなのであるからして……。
 当の遠藤はと言えば、「なんで俺だとわかったんだ、クボキ~!」「あれ、遠藤さんだったんですね!」「あら? あれ、俺だけへ送ったメールじゃなかったの?」と、あえなく自爆。悪いことはできない。
「他人の席でアジャを食うことは最高だが、自分の席で他人にアジャを食われることは最悪である」(編集部格言より)

2011-08-19 22:11:11

クドーの日記

クドーの事件簿 その2

ヲタクがマンションを買うとき の巻


 以前、本気で数千万のマンションを買おうとしたことがあった。現地の騒音を計測しに行ったり、ホルムアルデヒドの濃度を調べたりして、業者に数十万の手付け金を払うところまでいったのだが、結局、どたキャンしてしまった。
 そのとき、「マンションは買うものでなく、借りるもの。それが世界の大都市の常識。投資目的以外でマンションなんか買うのは持ち家幻想の強い日本人だけ。建築技師の友人も強くそう言っている!! あんなどんどん陳腐化して維持管理がたいへんなものを買ってローンにしばられる一生を送る奴は愚か者」と本気で説教してくれ、わたしを思いとどまらせてくれたのがアスキー書籍部の編集者U氏だった。
 そのU氏が、先頃、35年ローン(72歳まで!)で4300万円の新築マンションを(3800万円に値切って)購入したと言う。「いやー、お得な買い物でした。これからの人生は、繰り上げ返済、繰り上げ返済で、がんばるぞー」なんてはりきっている。
 言うてたことと違うやん!とソフトになじると、「ぼくの今回のマンション購入に限っては、やむにやまれぬ理由があった」のだと言う。
 聞けば、U氏の借りていた古マンションのセキュリティが甘くて空き巣にはいられた、と言うのだ。
 空き巣のせいで大金が失われたのであれば、そういう気持ちにもなるか、むべなるかな、むべなるかな――と内心納得しかけたのだが、よく聞くと、
「え? お金なんかいっさい盗まれてませんよ」
 と言う。意味がわからずきょとんとしているわたしに、U氏は少しいらだって、こう怒りをあらわにした。
「テレカですよ、テレカ!! ぼくがコミケ(コミックマーケット)に毎日始発で出かけて毎日10時間ぐらい並んでやっと手に入れた恋愛シミュレーションゲームの貴重なテレホンカード群がバインダーごと盗まれたんですよ!! だからセキュリティが超強固な新築マンションを買ったんです!!」
 今度のマンションのセキュリティはこんなにすごい、しかしどろぼうもバカだなぁ、あのテレカ、大黒屋あたりでさばくと1枚500円だけど、秋葉原のヲタクショップに持って行けばトータルで20万円は超えるのに、あのどろぼうはちゃんと秋葉原でさばいてくれたんだろうか、もったいない、猫に小判とはこのことだ――などとえんえん嘆いているU氏の声がわたしのなかで次第に小さくなっていき、わたしの胸に、U氏をめぐるさまざまなエピソードが今こそよみがえってきたのであった。


「Uが恋愛を極めた、恋愛の極意をつかんだと最近はしゃいでいる」――そう庶務のN島女史に聞いたのは、もう何年前のことになるだろうか。
 アスキーで恋愛に関して景気のいい話を聞くことは非常にまれである。イリオモテヤマネコが交尾している姿を偶然見かけるほどレアと言っていい。少しく興味を抱いたわたしに、当時のU氏は胸をはってこう語ってくれた。
「クドーさん、"恋愛に王道なし"ですよ。恋愛についてはなんでもぼくに相談してください。恋愛については、"ときメモ"(恋愛シミュレーションゲーム「ときめきメモリアル」)で極めましたから」
 N島女史によれば、「Uたちは最近すっかり学生時代に戻っている。口を開けば、"あのクラスのあの娘が……"だの"なんたら財閥の令嬢が……"だの"もうすぐ卒業なわけだが……"だの、ときメモ学園で起こることをまるで実生活のできごとのように語り合っている」のだという。
"ときメモ"なるものは、そんなにすごいゲームなのか、と当時おどろいた覚えがある。わたしもU氏がしつこくすすめるので、中古で980円だった"ときメモ"を買ってはみたのだが、そこで気づいたのが、「わたしはどうも"萌え絵"なるものが苦手なようだ」という事実であった。わたしは、あの絵に対する拒絶反応が強すぎて、どうしても3分以上プレイできなかった。わたしが愛するRPG「マイト・アンド・マジック」シリーズ1~9のような、洋ゲー(西洋のゲーム)テイストで怖いほどリアルに人物が描かれた恋愛シミュレーションなら、まだしもプレイ時間は長くなったのかもしれないが……。
 その後、恋愛シミュレーションブームは社内に野火のように広がっていく。害虫駆除でビルを早く出なければいけないその瀬戸際の警告音が鳴っているときに、当時月刊アスキーのチーフ・デザイナーだったS山氏が、「今やってるトゥルーラブがせつなすぎて、プレイを中断できない。おれは愛のためにこのビルから出ることを拒否する!」と涙ぐんでいたのは今も記憶に新しい。
 U氏はといえば、ヲタ度はさらに深まり、ときメモ声優の金月真美さんだかなんだかいう方を追いかけるべく、アスキー社内の取材陣でも誰も持っていないような超高性能の超々望遠レンズ付きカメラを購入して、仕事の締め切りをほったらかして東京から大阪、神戸まで遠征するありさま。それでも、「いやー、ぼくなんか、金月さんを九州や北海道まで追いかけていく人たちに比べれば、まだまだひよっこですよ。もっとがんばらねば。もっとがんばらねば」と、本人はいたって謙虚なのであった。


 そんなU氏であったが、2004年現在は、「さすがに恋愛ゲームにも少し飽きてきた」とのことである。「だってたいていの話が、"美人の幼なじみが偶然周りにいっぱいいる"とか"空から美少女が降ってくる(ときどき羽がはえてたりする)"とか"実は血のつながってない、死にそうな妹がいる"とか"相変わらずの学園物(間違っても、高校と言ってはいけないらしい。高校だと18歳未満が含まれるから、とのことである)"ばっかなんだもん。でも処分したい美少女ゲーがヤフオク(ヤフーオークション)でなかなか売れなくて……クドーさん買ってください」なんて言っている。
 そして最近は、恋愛ゲームよりも出会い系サイトにはまりつつあるらしい。
「思えば、出会い系サイトも恋愛シミュレーションみたいなもんですよ。100人にメールを書けば、1人ぐらいは返事をくれる。100人から返事がくれば1人ぐらいとは会える。100人と会えれば、1人ぐらいとは結婚もできる。クドーさん、出会い系での恋愛については何でも聞いてください」
 ヲタクで知られたU氏もどうやら現実世界にモードを移行させつつあるようである(本質的な部分は変わっていない気もするが)。
 わたしは――と言えば、出会い系で出会える女性が、わたしが愛するRPG「マイト・アンド・マジック」シリーズ1~9のような、怖いほどリアルな洋ゲーテイストの顔をしているなら、出会い系にも少しは興味を持てるのだろうが……などと我ながらさびしく思っている次第である。

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自己紹介

編集者 クドー

通称 : クドー

角川グループの出版社・株式会社アスキー・メディアワークス第八編集部 英語&海外文芸課の編集長。1991年5月~2000年12月までパソコン総合雑誌「月刊アスキー」で編集者として働き、ワープロやOfficeなどの記事や「クドーの事件簿」ほかの記事を執筆しながら、日本マーフィー普及委員会の一員として、「マーフィーの法則」支援連載や、『続・マーフィーの法則』刊行などを手がける。2001年より書籍編集者となり、『ドラゴンランス』『ダークエルフ物語』などの海外ファンタジー作品を多数刊行。現在は、『単語耳』シリーズや、『21世紀版 マーフィーの法則』、『バカはなおせる 脳を鍛える習慣、悪くする習慣』など、語学系や自己啓発系の書籍も手がける。

編集者 タジマ

通称 : タジマ

アスキー・メディアワークス第八編集部 英語&海外文芸課の編集者。2006年からドラゴンランスなどの海外ファンタジー全般を担当しています。趣味は漫画・ラジオ・アニメ・小説・音楽・映画・ネットと浅く広くをモットーにだいたい通じています(つもりです)。「目指せミリオンヒット!」、そして「D&D小説エバンジェリスト」として青春を編集にささげていく所存です。ちなみに画像は片耳の愛猫ハル。お尻を叩くとなぜか喜びます。

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