2011-09-08 19:18:30
インタビュー技術を編集長に学ぶ の巻
のちに『計算機屋かく戦えり』という単行本にまとまった人気連載「月刊アスキー・スペシャルインタビュー」は、日本のコンピュータ産業の立ち上げに大きな貢献のあった偉人たちに毎月取材を試みる形で制作されていた。メインインタビュアーは編集長 遠藤で、そのお手伝い&記事執筆は私、クドーが担当していたのだが、その取材の中ではいくつかの忘れがたい事件が起こった。ここではその中から、2つのエピソードを紹介しよう。
まずは「編集長、寝ちゃった」事件である。
それは、ある方の業績を知る関係者にお話を伺うという取材の場で起こった。相手の方は、実に熱心に語ってくれたのだが、しかし悲しいかな、それは我々の知りたい方の業績ではなく、記事にまったく関係のない自分の業績についてだった。
「やばいな……」──そう直感した私が編集長を横目で見ると、編集長は早くもどこかの尊師のように薄目がちになっている。イスの座りは浅くなり、うつむいた目線はしかられた子供のように斜め前に落ちている。私は声のトーンを少し上げ、今回の記事に関係しそうな質問をする。しかし相手は、
「いや、でもその前にね……」
などと自分の話をやめない。まずい……。
「ふーん……、ふーん……」
編集長の相づちは、すでになかば寝言めいている。しかもコックリ、コックリまでし始めた! しかし、タイミングが実に絶妙で、相手が顔を上げたタイミングですかさずコックリするため、あたかも相手の話に納得しているかのように見える。安心して話し続ける取材相手。
「ふーん……、スピー、ふーん……、スピー」
ついに編集長の息を吸う側の音はなかばいびきと化してきた。「さすがに相手も気付いたか?」と目線を向けると、相手はひたすら文献をめくりながら熱心にしゃべりまくっている。
「良かった……」
私は寝て、コックリ、コックリするインタビュアーと、熱心に話し続けるインタビュー相手とのあいだの奇妙な空間に座しながら、記事執筆用のテープをひたすら回し続けた。
「寝ながらも、相手をこれだけ熱心にしゃべらせてしまう名インタビュアーが、果たしてほかにいるだろうか?」──私は感心し、編集長の腕前にいまさらながら勉強させてもらった思いだった。
*
2つめのエピソードは、機械式計算機の権威であるU先生を取材したときの話である。
編集長と私は、都内から長時間電車に揺られて、先生の別荘がある八ヶ岳を訪れた。そこは広大な大自然が香り立つ、まさに星と風と緑の高原であった。
我々が降り立ったそんな八ヶ岳駅に、うなりを上げながらさっそうと疾駆(しっく)してくる1台のポルシェカレラ4があった──U先生の愛車である。
我々を乗せ、八ヶ岳の農道をビュンビュン走るポルシェ。車内で鳴り響くのはバッハのカンタータである。U先生の運転は巧みであり、カーブも極力高速で曲がっていらっしゃる。聞けば、U先生はA級ライセンスの持ち主だという。
「この辺はトラクタなんかがちんたら走っていて、危なくてしょうがないんですよ」と苦笑するU先生は、さらに加速してポルシェの性能を我々に体感させてくれた。
到着した別荘も、豪華そのもの。ロダンな感じの彫刻群、ペチカとでも呼びたくなる欧風暖炉、高価なフルートや数千万円するオーディオ機器。ルパン三世の宝物庫もかくあらんやという、まさにため息モノのお宅なのである。
「明け方にはタヌキやキジなんかも、餌をねだってやってくるんですよ」と心優しきU先生。取材を終え、駅まで送っていただいた車内でも、「今日は泊まって行けばいいのに。サイコロステーキでバーベキューをしましょう」とあたたかいお言葉をかけてくださった。後ろ髪ひかれる思いだったが、残念ながらそのときは時間がなく、やむなく帰りの電車に乗り込み、遠藤の好物である干し貝柱くんをかじりながら東京へ戻ったのだった。
驚いたのはそれから半月後。U先生に何度月刊アスキーの見本誌を送っても、あて先不明で戻ってきてしまう。不審に思って宅配業者に問い合わせると
「そんな住所に家はありません!」
「そんな馬鹿な! 我々はこの前、そのお宅を訪れたばかりなんですよ!!」
「ないものはないんです! そこに家なんかない!」
???……では、我々が訪ねたあの豪邸(ごうてい)は? ポルシェは? そういえば、タヌキがどうのとおっしゃっていたが……。我々はタヌキにバカされていたのだろうか? あのまま宿泊していたら、編集長と私は泥(どろ)のお団子を食べ、こえだめの風呂の中ではしゃいでいたのだろうか??
その後しばらくして、U先生から編集部にご連絡をいただいた。何でも、我々が訪れてまもなく、別荘は火事で全焼してしまったとのこと(原因は電気屋さんの配線ミス)。なんと、お気の毒な。
「十分な保険がおりますから、また別荘を建て直します。そうしたら、また遊びにいらっしゃい」
と元気におっしゃるU先生に、私は再び、明日への活力をいただいた気分であった。
この連載を通じ、一事を成したご高齢の方々に多くお会いできたが、いつも強く感じられたのは、老いてなお、日々を生きるエネルギー量が我が身とは決定的に違うということであった。私の耳には今も、数値計算の宇野利雄先生(当時92歳)が追加取材の電話口(お年寄りの方はインタビュー直後の晩に過去の記憶を一気に思い出すことが多いようで、後日の電話インタビューが重要であった。電話で6時間もお話ししたこともある!)で、お気に入りだという徒然草の第188段をとつとつと読み上げる声がよみがえってくる。
「蓑(みの)、笠やある。貸し給へ。かの薄(すすき)のこと事習ひに、渡辺の聖(ひじり)がり訪ね罷(まか)らん……」
そして、才能と努力と熱意に対して、運命がときにどんな残酷をなすか、ということ──。







