2011-09-12 16:33:07
ASCII編集部の黄金風景
※この回は太宰治先生の傑作短編小説『黄金風景』のパロディを含みます。
海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて──プウシキン
■「へ、編集長! たいへんです!!」
2000年3月4日早朝5時半過ぎ──朝もやの中、新宿の高層ビル群の隙間から、朝日が昇り始める。その光が、大きなガラス窓を通して、お菓子の食い散らかしが床に散らばる編集長席に座る一人の男の輪郭を優しくふち取る。その男──月刊ASCII編集長 遠藤諭(現アスキー取締役)はそのとき、数日前にすでに書き終えていなければならないはずの原稿を、進行ツボウチに怒られ怒られしながら、黙々と執筆していた。
しかし、その口元は、ともするとゆるみがちであり、ときどきキーボードから手を離しては、静かな笑顔を浮かべて朝日が天空に昇っていく光景に目を細めたりなどしていた。
遠藤がマゾだというわけではない。
“今日は、(職権を乱用して部下にWebで注文させた私物の)PlayStation2(以下、PS2)が、佐川急便さんの手によって編集部に届けられる日だ”──そう考えるだけで、遠藤の脳内には多量の快楽物質が分泌されていたのだった。
編集部内が曙光でゆるやかに明るくなりつつあったその静かなひとときを破る声があった。──数時間前に帰宅し、折しも今、始発出社をしてきた編集部 安藤の声だ。
「た、たいへんです! 今、新宿ヨドバシカメラを見てきたら、なんとPS2が整理券なしで、て、手渡しされています!!」
「な、なに~っ!!」
ガタンと席を立つ遠藤。その目はかっと見開かれ、安藤の一言一句を聞き逃すまいと、その集中力はかつて見せたことがないほどに高まっている。
聞けば、安藤は、“ヨドバシに並ぶPS2購入の列が都庁にまで達している”との情報を元に、新宿駅を都庁口から出るも、果たしてそこに列はなく、慌てて走っていくと、なんとすでにヨドバシでPS2の手渡し販売が始まっていた、と言うのである。
「とにかく、今行けば、さして並ばずに、すぐにもPS2が買えますよ!」
「本当なんだな? 本当なんだな!? こうしちゃおれん! みんな、PS2を買いに行くぞ!!」
先ほどまでは消耗しきって死人のように見えた4~5人の徹夜組編集部員が、ネクロマンサー(死霊使い)に操られるかのようにすっくと立ちあがり、ふらふらと遠藤のもとに歩み寄っていく。安藤も再び、(原稿そっちのけで)現場に戻るのだという。
そんな彼らに私が冷静に声をかける。
「Webで(職権を乱用して)頼んだ(ていうか頼ませた)編集長のPS2は、今日の昼、編集部に届くんですよね? それなのにもう1台買いに行くんですか??」
「そんなこと関係あるか!! PS2がすぐにも買えるっていうのに!! それ、クドーも行くぞ!!」
勢いに乗せられ、私も我を失って夢中で走りだす。しかし、エレベータに乗り込んだ遠藤を先頭とする面々の憔悴しきった顔色を見て、突然、私の脳裏に理性の声がこだました。“よく考えてもみろ! おまえは、初期ロットは何かと不安定かもしれない、と思ってWeb予約もやめたのではなかったか? PS2が値下がりし、やりたいゲームが出てから買うので十分、と決めたのではなかったか? 頭を冷やせ、工藤裕一よ!”
果たして私は、突然催眠術から覚めたように、こう告げたのだった。
「やっぱり、僕は行くのをやめます。すぐにも原稿を上げないといけませんし」
「こ、この、愚か者!!」
わなわなと震える指で私を指し、大声でそう罵倒する遠藤(+ほか数名)の姿が、エレベータの扉の隙間に消えていく。
「なんと罵声を浴びようとも、これが僕の生き方なのだ。僕は現実主義者なのだ……」
私は自分をそう慰めながら、独り編集部にとぼとぼと歩いて戻った。
編集部ではもう一人の進行 飯田が頭を抱えていた。
「遠藤さんはさっき、“あとはキャプションさえ書けば原稿を提出できるゾ。ほっ、ほっ、ほ!”なんて威張ってたんですよ。それなのに、それをすべて放り出して。なぜ、あと少しの我慢ができないのか……」
「PS2が買えるとなると、もうすべてのことにそれが優先されてしまう、子供のような人ですからね……」
そう続け、私ははっと気づいた。
「そういう人だからこそ、月刊ASCIIの編集長が務まるのではないか……」
私は、知らぬ間に、編集者として大切なことを、またもや編集長に教わったのだ。
■誰が勝者で、誰が敗者か?
その後、遠藤ら一行は午前8時過ぎに戻ってきた。なんでも並んだ列では遠藤たちの目の前で手渡し販売が終了してしまい、そこで慌てて別の店舗の列に並びなおしたが、そこでもまた目前で手渡しが終わり、整理券配布に切り替わってしまったのだという。
「しかし! 整理券はちゃんとゲットしてきたぞ!! これで午後にヨドバシに行けば、PS2が買えるぞ!!」
としごくご満悦な遠藤。機嫌がよかったので帰りにはみんなで、新宿の吉野家で牛丼まで食べてきたのだという。
「午後にしか買えないんじゃ、ますます意味ないじゃないですか。それじゃ佐川急便のほうが先に着いちゃいますよ」
と私が言うと、
「そんなことは関係ない!」
と意に介す様子もない遠藤。
「ああ、早く戸塚が戻ってこないかな~」
と、すでにその気持ちは、あらかじめPS2用ゲーム購入のコマンドを出しておいたアルバイト 戸塚(渋谷でのPS2の早朝販売の模様を取材するべく派遣されていた)の帰還へと移っていた。
「新宿から携帯電話で確認したら、渋谷の戸塚は無事、“リッジレーサーⅤ”と“決戦”を入手してくれたようだからな!」
と遠藤はいたくご機嫌だ。新宿へは行かなかった編集部 二瓶(にへいへにお)も、どさくさ紛れに、進行の目を盗んで(トイレに行くふりをして)こっそり編集部を抜け出しており、いち早くPS2用RPG「エターナルリング」をゲットしてきて他の編集者にうらやましがられていた。
3月4日早朝──月刊ASCII編集部は完全に浮き足立っていた。そしてそれが最高潮に達する瞬間が午前11時にやってきた。
佐川急便さんが、同形状の小包を7~8個抱えて、編集部にさっそうと(それはもう本当に“さっそうと”という表現がぴったりに見えた)現われたのである。佐川急便さんがあれほど待望され、あれほど誇らしげに見えたことはなかった。季節はずれのサンタクロースだ。そして遠藤たちは、年齢はずれの夢見る子供たちだ。
そしてそこで初めて、私は自分が編集部内ではマイノリティであることを知った。
「いったいこの編集部の人間は、Webと整理券販売で合計何台のPS2を買ったのだ?」
受取人の中には、今朝の騒ぎに対して我関せずを決め込んでいた人間たちも含まれていた。新人の清水久美子まで、やりたいゲームが1本もないくせに、“初期ロットがなんかほしい気がする”という漠然たる理由だけで、3万9800円もの大枚をはたくことを自らにゆるしていた。遠藤や鈴木Jのように、「PS2の発売が、なんかうれしかったから」というわけのわからない理由でPS2を2台も買っている人間もいた。
届いたPS2の箱を嬉々として開ける連中を後目に、「どうせ初期ロットには不具合があるさ」と、私はそう自分を慰めたが、
「バカだなぁ。不具合があるからいいんじゃないか! 不具合が起こるたびに、ああ、自分は初期ロットを買ったのだ、という幸せを実感できるんだから」
と一同から一斉に反撃を食ってしまった。
私がバカなのか、それとも、私を普段何食わぬ顔で取り囲んでいるこの大多数の面々こそがアホウなのか? 私にはいよいよわからなくなってきた。
そしてその後、私は自分が愚かだったことを思い知らされた。
初期ロットのPS2では、DVDビデオの再生をリージョンフリーで行なえてしまう、という裏技(ていうか不具合)が発見されたからだ*1! つまり、初期ロットのPS2では世界中の非常に廉価なDVDタイトルをリージョン情報おかまいなしにガンガン見られてしまう、ってことなのだ。
「そういえば昔、ソニーのデジタルビデオでも、初期出荷品だけは服が透けて撮影できるなんてバグっていうか特典っていうかがあったもんなぁ。やっぱ買うなら初期ロットですなぁ~」
なんてますますご満悦の一同。
負けた、私は完全に負けた……。だが、不思議と悔しさはなかった。新しいハイテク機器に目がない編集者たちの勝利──これは、いいことだ。そうなければ、いけない。彼らの勝利は、また、私の明日の出発にも、光を与える。
●注釈
*1【PS2初期ロットの裏技】PS2に初代PlayStation用コントローラをつないで(そのほうが成功率が高いそうだ)、十字キーのどれかを押しっぱなしにしながらPS2を起動、DVD再生を行なうと、DVDのリージョンコードによる制限なしでDVDビデオを見られてしまうことがある。
これは、“DVDプレイヤーでは、リージョンコードをチェックして、国内販売のDVDディスクしか再生できないようにしましょう”と規定した、世界のDVDプレイヤーメーカー間の協定に違反するため、この不具合は現在では解消されている。







