アスキー・メディアワークス 英語&海外文芸 編集者ブログ

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2011-08-25 21:56:06

クドーの日記

クドーの事件簿 その5

●クドーの人間の研究 の巻


■実験1~期待が裏切られたときの人間心理の変化に関する考察


<実験準備> 家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験のために家族の誰よりも早起きし、朝刊をポストから取り出す。次に、4コマ漫画(コボちゃん)のオチのコマ(4コマ目)全体に、ご飯粒の固まりをコネコネして親指大にしたたもの(以下、コネコネと略す)をまんべんなく薄く伸ばして貼り付けておく。


<経過>朝、起きてきた弟(当時小学生)が新聞の4コマ漫画を読み始める。4コマ目にカピカピに乾燥したコネコネがこびり付いていて読めないので、指で慎重にコリコリはがそうとするが、結局、コネコネといっしょに新聞誌面がそっくりはがれてしまう。


<結果>弟は「オ、オチが読めない!!」と言ってテーブルをたたいて怒っていた。家族も「なんでおまえはそういうことをするんだ!!」と怒っていた。


<考察>コボちゃん程度の漫画でも、オチが読めないと、人は異常にストレスを感じるということがわかった。


■実験2~人間の感情の不可思議な変化に関する考察


<実験準備>家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、コネコネを十数個制作する。次に、そのコネコネを、朝食用テーブルの弟(当時小学生)が座る場所の手前側面に、すべて貼り付けておいた。


<経過>朝、家族で食事をとろうと席についたとたん、弟が突然、「な、なんじゃコリャ~っ!!」と言って驚いていた。


<結果>親が「おまえは何の意味があってそういうことをするんだ!!」と怒っていた。


<考察>それ以前に、同様の実験をコネコネ1個で試行した場合は、弟が驚くことも、親が怒ることもなかった(「汚いなぁ」の一言で済んでいた)。このことから、コネコネがたくさん並んだ時点で、なぜか人はひどく不快に感じるようになる、ということがわかった。


■実験3~人間が不可解な現象から幻想を創り出すメカニズムの洞察


<実験準備>家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、あらかじめ実験用に購入しておいたヤマザキの「わらび餅」(夏になるとコンビニなどで発売される、透明わらびもちが鬼のようにたくさん入っている食品。白と水色のストライプの容器に入っているのが目印)をすべて一気にコネコネして、プリンスメロン大の白濁(はくだく)したぷにょぷにょした物質(以下、大コネコネと略す)にする。その大コネコネを、居間のテーブルの真ん中に配置。その位置上部の天井にも、大コネコネの一部をくっつけておいた。


<経過>朝、居間の掃除を始めた母が大コネコネを発見した模様で、すぐに寝室のある2階に駆け上がってきた。


<結果>母は寝ている父を起こして1階の居間へ2人で移動。その後1階から、「変なものが天井からたれている」と両親が騒いでいる声が聞こえてきた。その後、大コネコネは正体不明のまま、おそるおそる廃棄されたのだった。


<考察>小さいと不快呼ばわりされるコネコネも、サイズが大きくなると、人間にある種の神秘性を感じさせることがわかった。


■実験4~人間が確信を深めていくメカニズムの観察


<実験準備>実験3から数週間後の、家族が深い眠りに落ちている午前4時頃、実験遂行のために早起きし、再び大コネコネを制作。その後、2階の弟の部屋に忍び込み、寝ている弟の顔のすぐ脇に大コネコネを配置しておいた。


<経過>朝方、弟の部屋から突然、「な、なんじゃコリャ~っ!!」と驚く声が聞こえてきた。両親が弟の部屋に行き、「また、たれてきたか……」などと天井と大コネコネを交互に見ながら、話し合っていた。


<結果>神秘的な出来事も二度起こると、次第に「起こるべくして起こったこと」として受け入れられ始める、ということがわかった。

2011-08-22 20:53:48

クドーの日記

クドーの事件簿 その4  我が生い立ちの秘密を語る? の巻

我が生い立ちの秘密を語る? の巻


 おかげさまでクドーの事件簿、本誌連載時よりも、Webに掲載/再録されている現在のほうが周囲の反響が大きい。エンターブレイン・ファミ通情報管理局に田口輝之という大学の級友がいるが、彼などは「お気に入り」に入れて読んでくれているそうだ。ありがたい。あらためてこういった場を与えてくれた現・月刊アスキー編集部に感謝したい。


 記事掲載後、我が社のお偉いさんである「土屋信明」「宮野友彦」らの名前をGoogleで検索すると、わたしの記事がトップに来るようになったのも、まためでたいではないか。なのに宮野などは「最悪だ、クドウ!」となぜかご立腹で、土屋秘書のM崎嬢にも「クドーさん、キライ!」とののしられるなど、社内好感度はイッキ低落、肝心の登場人物のみなさんにはあまり喜ばれていないのが不思議でもあり残念でもある。


 そういえばかつて、世間に名を売ることを夢見て上京してきた一人の男がいたのを思い出した。我が父、工藤鐐亮(りょうすけ)その人である。そこで今回は(社内ネタでいくつか書きたいことはあったのだが、それはおいておいて)、手前みそで恐縮だが、我が生い立ちにも関わる父の話を、父への冥土のみやげ的ニュアンスもかねてお届けしたい。


 我が父は青森県の津軽出身。歌手を目指して上京するも、歌謡学校で「あんた、なまりがとれないね」と一刀両断にされ挫折。その後、加藤製作所というクレーン製造会社に勤務し、必ず午後5時半に帰宅、大相撲と野球を見ながらビールを飲むのが「最高! 生きてるの最高!」みたいな感じになった、スケール小さめの男だった。


 かなりの田舎者で、都会人は今でも父の発音を聞き取りにくいようだ(たとえば、「ともえ」はわたしの耳にも何度聞き返しても「ともい」としか聞こえず、父に教わった場所に向かうのなどはひと苦労である。交番に聞いても"「ともい」なんてこの辺にはない"とむっとされるからだ)。地元にはじめて「すかいらーく」がやってきて、テーブルで初めてスジャータみたいなの(コーヒー用の液状ミルク)を見たときも、「ずいぶん小さいカップに入った牛乳だなぁ」と思いつつそのまま飲んで、何杯もおかわりしていた(「カップが小さすぎて飲みにくい! うまいけどな」と怒りつつも都会の味に感服していた)。


 小物という意味では、錠剤の薬を水無しで飲めるようになったのがかなりの自慢の種だったことも思い出す。よく、「俺なんか薬を水無しで飲んじゃうもんね」とか言って、つまらない実演をよくしてみてくれたものだ。歌手になりたい野望は、近場の人々でつくった民謡クラブ、歌謡クラブへの参加ですっかり満たされている様子である。30歳頃から尺八(世に言う比喩的な尺八でなく、本物の楽器の尺八である)を勉強しだし、貧乏なくせに何本も尺八を買い集め、ナッツみたいなのがはいった油っぽい袋でいつも尺八を片っ端から磨いて満足げに休日を過ごしていたのを思い出す。2階にわたしの友達が遊びに来たりすると、なぜか1階で尺八の練習を始め、こびてルパン三世に出てくるみたいなフレーズを吹きまくったりするので、恥ずかしかった。


 かと思うと大物っぽいところもあった。父はよくステテコに腹巻き姿で、植木(小さな一軒家を取り囲むようにまさに"山"ほど植木があった。貧乏なくせに、それなりに貧乏なアイテムを山のように集める癖があるのだ。その後は提灯を集めだし、一時、我が家にはすべての部屋に360度提灯が飾ってあって毎日が祭り、この家は山車か、みたいな状態になっていた。誰かが旅行に行くと聞くや、すぐに電話をかけ、その地方地方の提灯をねだるのでかなりいやがられてもいた。また、母親は提灯の価値がわからず、よくハタキをかけて提灯を破壊、落下させるので、夫婦げんかの種にもなっていた)――ええと、なんの話だったか、そう、ある日、父がステテコに腹巻き姿で植木に水をやっていたときのことだ。わたしと母が、「そろそろ新しい家にひっこしたいねえ」と、なんとはなしに雑談をしていると、ステテコ姿の父が10分ほど姿を消してから戻ってきた。そして、「おおい、買ってきたぞ」と言う。「何を?」と問い返すと、「新しい家を」とのことだった。


 我が父は30代になってから太りだし、食に対する欲望が異常に強まった。帰宅して相撲を見ているときに、おかってで料理をしている母親に「飯はまだか!」と毎日何度も呼びかける。「まだよ」と返事があると、それに腹を立て、「ゆういち、ストーブの上で餅を焼け!!」と命じる。母親が「それでご飯を食べられなかったら承知しない!」と台所で怒っていたが、「そんなの平気だい。おい、ゆういち、餅をあるだけ焼け、6個焼け、6個」とかいう。はたして、6個焼くと、ちゃんと全部食べてしまうのだからたいしたものだった。ただし、その後、夕飯が出てくると、母親に「今日はご飯は一膳だけでいいや」と情けないことをおずおずと言っていた。それを受けて母親がついだ一膳は、高さが20cmはある超大盛りの一膳だったが、それでも泣きながらなんとかたいらげていた。


 そんな父の背中が、かなり小さく見えたこともある。父は宝くじなどで一攫千金を夢見るのが大好きで、毎回買っていた(ついに一番下位の、誰でも当たる金額しか当たったことはなかったが)。そんなある日、「ゆういち、植木に水をやるから、テレビで発表される当選番号をメモっておいてくれ」という。そこで、父を喜ばせようという子心から、こっそり父のしまっておいた宝くじを取り出し、2等の当選番号として父の宝くじの番号をそのまま書き写しておいた。植木に水をやり終えた父が、当選番号をチェックしはじめる。わたしはよそを向いて宿題かなにかして素知らぬふりをしていたのだが、途中で背後から異様にうれしそうに「ゆういち、これなんだ? これ見てみろよ、おい。これなんだ?」とうわずった声が聞こえた。振り返ると、狂ったような、異様な目の光をした、驚喜をなんとか押さえ込もうとする顔をした父がいた。もう少しネタをひっぱるつもりだったが、「人は宝くじが当たると、こんなにも狂ったような顔をするのか!」と我ながら驚くほどの、これまでに見たこともない人間の顔がそこにあったため、すぐにネタをばらしてしまった。父は、「なあんだ、そうか。やっぱりなぁ」と何のダメージも受けていないような力ない笑顔を浮かべて立ち去ったが、なぜかその後終わったはずの植木への水まきをふたたびはじめ、何時間も戻ってこなくなってしまった。あのときのさびしそうな背中は忘れられない。


 時が流れ、わたしのアスキーへの入社が決まり、わたしはついに実家を飛び出し、初の一人暮らしをはじめることになった。それに際しては、父は「それにはいろいろ買いそろえないとな! 俺に任せておけ」と異常にはりきり、わたしがバイトしてためた貯金を使って、タンスだのなんだのをふんだんに買い物するのを明らかに楽しんでいた。果たして、購入物の中には、わたしが一生使うはずもないであろう銀のケーキサーバー(ケーキをすくって並べるしゃもじみたいなの)などもあり、人の金ではしゃぎまくって買い物をした跡ありありで、もう彼には二度と金を預けまいと誓うのに十分な活躍をしてくれたのだった。


 そんな父も数年前に定年を迎え、私も36歳になった。私が10歳だったころの父の年齢とタメになったのである……まぁ、なんの感慨もないわけだが。


 思えば、その年齢の父は働き盛りで一番輝いていたのかもしれない。当時の加藤製作所では秋に大運動会が開かれ、そのクライマックスに部署対抗仮装パレードが用意されていた。クレーンを製造する機械を使って仕事そっちのけで一ヶ月くらいかけて作った、クレーンを大改造した煙を噴く巨大竜だの、ものすごい金と労力のかかった大仕掛けな出し物が多かったのを覚えている。そんな中、我が父は、重い鉄の板を曲げて作ったドラえもんの仮装で登場。八頭身ぐらいのドラえもんで、頭が小さく、やたら胴だけが長い、ドラえもんらしき色が塗られてなかったら、明らかにドラえもんに見えないコケシのような仮装だったが、我が父がその重い鉄板をかぶってよろよろふらふらとグラウンドに登場するや、ちびっ子たちがむちゃむちゃその周りに集まって握手をせがんだりして、押すな押すなの大変な事態になっていたのを覚えている。思えばあのときが、我が父が人生においてもっとも人気を博した、有名人になった瞬間ではなかったか。そう思えば、なかなか楽しい人生を送っているとも言えそうである(父は「人生に後悔はなく、いつ死んでも満足だ」とよく言っていたものである)


 一人暮らしをするようになって十数年、実家には数度しか戻っていない親不孝なわたしであるが、こう思い出を振り返るだけでももうおなかいっぱいになり、しばらく家に戻りたくなくなるのであった。それだけいまだ身近に感じてるってことだけど。

2011-08-19 22:24:30

クドーの日記

クドーの事件簿 その3

月刊ASCIIとアジャの深い関係


 麹町は日本テレビ前にあるアジャンタ(以下、アジャ)の激辛カレー。それは月刊ASCII編集部の面々にとって最高のご馳走である。ことアジャのこととなると、「買い出しに行くことを俺に言わなかった!」とかなんとか、子供じみた喧嘩まで発生してしまう、陽気なみんなの大好物だ。
 最近は週に数回のペースでしか買い出しに行かないが、私が入社したての'91年頃は、どんなに忙しくても毎晩午前2時ごろ、アジャに買い出しに行かされた。私は編集の仕事より先に買い出しに習熟し、「クド~」と月刊ASCII編集長 遠藤から呼ばれると「は~い~」とアジャに出かける「アジャ番」を仰せつかっていた。私は学生時代の就職活動の際、日テレ・プロデューサー試験(セミナー)のため1カ月以上の間、日本テレビに通いながら「ここに毎日通えるようになりますように」と神様に祈っていた。日テレの最終面接には落ちたが、その願いだけは、奇しくもかなった形だった……。
 アジャ番は、決して楽な仕事ではない。交通指導員も30分で交代するような激寒の吹雪の中、1時間近くも手をあげながら、アジャへのタクシーを捕まえようとしたこともある。それでも捕まらず、編集部に戻っても、「もう1時間だけチャレンジしてくれ~」と遠藤に甲高い声で言われれば、再び外に出ねばならないのだ……(そのときは、なんとかアジャに行け、うれしかった)。
 よって編集部最高のおもてなしは、アジャであり、これが出てきたら、編集部の人間は相手に最大限の礼儀を尽くしていると考えて、まず間違いない(接待にかこつけて、自分たちが食べたいだけという説もあるが)。以前も、熱で倒れている他部署の人を電報で呼び出し、徹夜で仕事をしてもらったお礼として、アジャがふるまわれていた。相手は数口食べただけで水をがぶ飲みし、「もう舌がしびれて食えません。勘弁してください」と涙ぐんでいたが、理由を解せない遠藤は、「こんなにうまいものを……!」と呆然としていた。
 そんなこんなで、21世紀を迎えた現在でも、週に2~3回はアジャ便が出ているのである(不景気とアジャの値上げのため、回数は減った)。
 そんなある日、会社に出勤すると、編集部の人間全員に、編集部のクボキ女史から次のようなメールが届いていた。
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単行本のクボキですがお願いをひとつ。
あの~、アジャの飲食物関連残骸なのですが、片づけてね。
袋がほってあるのはいいとしても、
容器があってもかまわないとしても、
しるがシルが汁が……机にこぼれているのもガマンするとしても。
ああ、汁がマシンにかかっていたりするのはかなりつらいかも。ああ。
こぼさないで食べてがんばってくださいね。
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 この時点で、編集部員全員の頭の中にあるひとつの共通像が浮かんだのだった。イスにだらしなく座ってアジャを食べている、遠藤の姿である。遠藤はものを食べるとき、必ず、汁や具をあたりや服に飛び散らして、おかまいなしなのであるからして……。
 当の遠藤はと言えば、「なんで俺だとわかったんだ、クボキ~!」「あれ、遠藤さんだったんですね!」「あら? あれ、俺だけへ送ったメールじゃなかったの?」と、あえなく自爆。悪いことはできない。
「他人の席でアジャを食うことは最高だが、自分の席で他人にアジャを食われることは最悪である」(編集部格言より)

2011-08-19 22:11:11

クドーの日記

クドーの事件簿 その2

ヲタクがマンションを買うとき の巻


 以前、本気で数千万のマンションを買おうとしたことがあった。現地の騒音を計測しに行ったり、ホルムアルデヒドの濃度を調べたりして、業者に数十万の手付け金を払うところまでいったのだが、結局、どたキャンしてしまった。
 そのとき、「マンションは買うものでなく、借りるもの。それが世界の大都市の常識。投資目的以外でマンションなんか買うのは持ち家幻想の強い日本人だけ。建築技師の友人も強くそう言っている!! あんなどんどん陳腐化して維持管理がたいへんなものを買ってローンにしばられる一生を送る奴は愚か者」と本気で説教してくれ、わたしを思いとどまらせてくれたのがアスキー書籍部の編集者U氏だった。
 そのU氏が、先頃、35年ローン(72歳まで!)で4300万円の新築マンションを(3800万円に値切って)購入したと言う。「いやー、お得な買い物でした。これからの人生は、繰り上げ返済、繰り上げ返済で、がんばるぞー」なんてはりきっている。
 言うてたことと違うやん!とソフトになじると、「ぼくの今回のマンション購入に限っては、やむにやまれぬ理由があった」のだと言う。
 聞けば、U氏の借りていた古マンションのセキュリティが甘くて空き巣にはいられた、と言うのだ。
 空き巣のせいで大金が失われたのであれば、そういう気持ちにもなるか、むべなるかな、むべなるかな――と内心納得しかけたのだが、よく聞くと、
「え? お金なんかいっさい盗まれてませんよ」
 と言う。意味がわからずきょとんとしているわたしに、U氏は少しいらだって、こう怒りをあらわにした。
「テレカですよ、テレカ!! ぼくがコミケ(コミックマーケット)に毎日始発で出かけて毎日10時間ぐらい並んでやっと手に入れた恋愛シミュレーションゲームの貴重なテレホンカード群がバインダーごと盗まれたんですよ!! だからセキュリティが超強固な新築マンションを買ったんです!!」
 今度のマンションのセキュリティはこんなにすごい、しかしどろぼうもバカだなぁ、あのテレカ、大黒屋あたりでさばくと1枚500円だけど、秋葉原のヲタクショップに持って行けばトータルで20万円は超えるのに、あのどろぼうはちゃんと秋葉原でさばいてくれたんだろうか、もったいない、猫に小判とはこのことだ――などとえんえん嘆いているU氏の声がわたしのなかで次第に小さくなっていき、わたしの胸に、U氏をめぐるさまざまなエピソードが今こそよみがえってきたのであった。


「Uが恋愛を極めた、恋愛の極意をつかんだと最近はしゃいでいる」――そう庶務のN島女史に聞いたのは、もう何年前のことになるだろうか。
 アスキーで恋愛に関して景気のいい話を聞くことは非常にまれである。イリオモテヤマネコが交尾している姿を偶然見かけるほどレアと言っていい。少しく興味を抱いたわたしに、当時のU氏は胸をはってこう語ってくれた。
「クドーさん、"恋愛に王道なし"ですよ。恋愛についてはなんでもぼくに相談してください。恋愛については、"ときメモ"(恋愛シミュレーションゲーム「ときめきメモリアル」)で極めましたから」
 N島女史によれば、「Uたちは最近すっかり学生時代に戻っている。口を開けば、"あのクラスのあの娘が……"だの"なんたら財閥の令嬢が……"だの"もうすぐ卒業なわけだが……"だの、ときメモ学園で起こることをまるで実生活のできごとのように語り合っている」のだという。
"ときメモ"なるものは、そんなにすごいゲームなのか、と当時おどろいた覚えがある。わたしもU氏がしつこくすすめるので、中古で980円だった"ときメモ"を買ってはみたのだが、そこで気づいたのが、「わたしはどうも"萌え絵"なるものが苦手なようだ」という事実であった。わたしは、あの絵に対する拒絶反応が強すぎて、どうしても3分以上プレイできなかった。わたしが愛するRPG「マイト・アンド・マジック」シリーズ1~9のような、洋ゲー(西洋のゲーム)テイストで怖いほどリアルに人物が描かれた恋愛シミュレーションなら、まだしもプレイ時間は長くなったのかもしれないが……。
 その後、恋愛シミュレーションブームは社内に野火のように広がっていく。害虫駆除でビルを早く出なければいけないその瀬戸際の警告音が鳴っているときに、当時月刊アスキーのチーフ・デザイナーだったS山氏が、「今やってるトゥルーラブがせつなすぎて、プレイを中断できない。おれは愛のためにこのビルから出ることを拒否する!」と涙ぐんでいたのは今も記憶に新しい。
 U氏はといえば、ヲタ度はさらに深まり、ときメモ声優の金月真美さんだかなんだかいう方を追いかけるべく、アスキー社内の取材陣でも誰も持っていないような超高性能の超々望遠レンズ付きカメラを購入して、仕事の締め切りをほったらかして東京から大阪、神戸まで遠征するありさま。それでも、「いやー、ぼくなんか、金月さんを九州や北海道まで追いかけていく人たちに比べれば、まだまだひよっこですよ。もっとがんばらねば。もっとがんばらねば」と、本人はいたって謙虚なのであった。


 そんなU氏であったが、2004年現在は、「さすがに恋愛ゲームにも少し飽きてきた」とのことである。「だってたいていの話が、"美人の幼なじみが偶然周りにいっぱいいる"とか"空から美少女が降ってくる(ときどき羽がはえてたりする)"とか"実は血のつながってない、死にそうな妹がいる"とか"相変わらずの学園物(間違っても、高校と言ってはいけないらしい。高校だと18歳未満が含まれるから、とのことである)"ばっかなんだもん。でも処分したい美少女ゲーがヤフオク(ヤフーオークション)でなかなか売れなくて……クドーさん買ってください」なんて言っている。
 そして最近は、恋愛ゲームよりも出会い系サイトにはまりつつあるらしい。
「思えば、出会い系サイトも恋愛シミュレーションみたいなもんですよ。100人にメールを書けば、1人ぐらいは返事をくれる。100人から返事がくれば1人ぐらいとは会える。100人と会えれば、1人ぐらいとは結婚もできる。クドーさん、出会い系での恋愛については何でも聞いてください」
 ヲタクで知られたU氏もどうやら現実世界にモードを移行させつつあるようである(本質的な部分は変わっていない気もするが)。
 わたしは――と言えば、出会い系で出会える女性が、わたしが愛するRPG「マイト・アンド・マジック」シリーズ1~9のような、怖いほどリアルな洋ゲーテイストの顔をしているなら、出会い系にも少しは興味を持てるのだろうが……などと我ながらさびしく思っている次第である。

2011-08-18 18:23:51

クドーの日記

クドーの事件簿 復刻版その1

 東京 青山は骨董通り──モデルや芸能人が闊歩するそんなおしゃれなロケーションに我が㈱アスキーが存在したバブリーな時代──私の仕事席は、月刊アスキー編集部内の女子トイレに対面するように設置されていた。
 編集部内において、当時うだつのあがらない新入社員であった私に割り当てられるべくして割り当てられた最後の居場所──元々は編集部内の荷物置き場でしかなかったテーブルの上にぽつんと置かれたパソコンとイスから成る席とも呼べない席──それは、女子トイレの扉をいざ開けなんとする女性がふとふり返ると、意図せずしてパソコンモニタを見ている私と目が合ってしまうという──そして、そうした女性陣から日に何度もいわれのない軽蔑のまなざしを受けてしまうという──特等席であった。
 論を待たずして、女性陣からは「なんでこんなとこ座ってのよ! 変態」「クドーのせいで便秘になりそう」などと再三なじられたが、それもむべなるかな、しかしながら当時の私には他に行き場がなかったのである。
 しかし、紛れもないその女子トイレで、アスキー始まって以来の──約30年の歴史の中でも最大といえる事件が始まろうとしていたとは、誰が気づき得たであろうか?
 その魔手は、普段と変らない何気ない月曜日に、静かに、しかし確実な足取りでひたひたと私の日常にしのびよってきた。
 その日、編集部デザイナーのT橋女史が、「女子トイレ内で不思議なものを見つけた」と私に告げた。女子トイレウォッチャーである私に、なにか心当たりはないかという。
 女史は最初、女子トイレの洗面台の脇にちょこんと置かれたそれを、ナイトキャップの忘れ物かと思ったらしい。そこで何気なく広げてみると……すぐさまそれは、女史の手からスローモーションで落ちていった。それはまごうことなき、黒いレースの女性用パンツ(かなり薄手で派手め)だったのである。
 編集部内では「土日の人のいない時間帯に出勤していた奴が怪しい」ということになったが、編集部は忙しい、その事件はあっという間に人々の記憶から薄らいでいった。
 しかしその後、私はいやがうえにも、その事件を鼻先につきつけられることになる。
 それは、当時MacPower編集部でデザイナーをしていたM川女史とエレベータに二人きりで乗っていたときのことだ。ふと見ると、女史の足元に、パステルグリーンの若者パンツが落ちている。私が(M川さんもそそっかしいなぁ)と思いながら、女史に「あの、パンツが脱げてますよ」と紳士的に告げると──すぐさまなされたM川女史の反応で、私はすでにそのときワンダーゾーンに足を踏み入れていたことを知った。「私のパンツは脱げてない、これは誰かの落とし物よ!」
 事はここで俄然重大味を帯びる。編集部の女子トイレ内であれば、社内的事件として笑い話ですませることも可能だが、エレベータには外部からのお客さまも乗車されるのである。エレベータ内にパンツが落ちている会社など、社会的信用をえられるはずもない。私には思い描くことができた──噂が噂を呼び、みんなに夢をもたらすパソコン出版アスキーが、ハレンチ出版に堕していく姿が──。
 私はさいばしでそのパンツをつまみ、すぐにお客さまの目に届かない場所に撤去した(後々の調査のため、いちおうの証拠物件として男子トイレ内に厳重保管していた)。
 そしてそれ以来、社内にパンツがしげく落下しまくることになるのである。
 たいへんだった。そのたびに私が落下物処理班として呼ばれ、さいばしで物件の処理にあたるのである。そして事態は急激にエスカレートしていき、日に何度も呼ばれる日もあった。まるで犯人は近くにいて、私個人に目に見えぬ戦いを挑んでいるかのようである。多忙な中、パソコンの勉強にも仕事にも差し障りが出かねなかったが、事は我が社のコーポレイトイメージに関わることである。私はときに、読みかけの『アスキーラーニングシステム・入門MS-DOS』をほっぽりだしてでも、現場に駆けつけた。私は、「私こそがアスキーの壊れやすくキラキラと輝くブランドイメージの守護者だ」と自分に言い聞かせながら、処理に励んだ。「クドー、こっちにも落ちてるぞ~」「こっちにも~」と言われればいくら多忙でも「ハーイー」という返事とともにあちこちの現場に急行したものだ。
 不思議なもので、そんなけなげな私に関して、次第に良からぬ風評が流れ出した。
 これはクドーの自作自演ではないか、という根も葉もない噂である。これは悔しかった。他人の無私の献身を信じられず、善をなす人間に対して感ずるなにがしかの劣等意識を、善をなすことではなく、そうした風評を流すことだけで洗い流そうとでもいうのか?
 しかしその嫌疑は、私が1週間のアメリカ出張に行ったことで、思いがけず払拭された。私の出張中もパンツが落ち続けたのだ。正直、ほっとした。これが私の出張中だけ落下しなかった、などということになったら……
 これがアスキー・連続パンツ落下事件のかいつまんでの全容である。この事件、アスキーが青山を去る準備期に頻発し、その後の東京 初台への引っ越し後にぴたりとおさまることになる。当時、社外に怪しいとされる人物はいたのだが、今となっては真相を知る手だてもない。まさに、迷宮入りである。もう十年以上も前の昔話だ。人心が一新された今の㈱アスキーとはまったく無関係と言える。
 そして2004年──東京は信濃町の㈱アスキー新社屋(貸しビルだけど)内の男子トイレで──再び事件は起こった。
 私が男子トイレで用を足していると、突然すぐそばで堀江T子女史(ドットPC編集部)の鼻歌が聞こえてきたのである。
 こちらはおしっこしていて無防備なのに、そばに女性が来たかと一瞬びびって手元を狂わせた私だが、冷静に耳を澄ますと、果たして、隣の隣でおしっこをしながら長く小刻みなオナラをしている某男子編集部員の、そのオナラの音が堀江女史の鼻歌に聞こえただけであった(鼻歌の曲名は、強いて言えば──あくまで強いて言えばだが──ビートルズのペニーレインの間奏を私に想起させた)。
 トイレというのは昔から何かと怪談話なども多い場所であるが、私にとってはつくづく、いまだ不可思議事件の発生源であるらしい。

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自己紹介

編集者 クドー

通称 : クドー

角川グループの出版社・株式会社アスキー・メディアワークス第八編集部 英語&海外文芸課の編集長。1991年5月~2000年12月までパソコン総合雑誌「月刊アスキー」で編集者として働き、ワープロやOfficeなどの記事や「クドーの事件簿」ほかの記事を執筆しながら、日本マーフィー普及委員会の一員として、「マーフィーの法則」支援連載や、『続・マーフィーの法則』刊行などを手がける。2001年より書籍編集者となり、『ドラゴンランス』『ダークエルフ物語』などの海外ファンタジー作品を多数刊行。現在は、『単語耳』シリーズや、『21世紀版 マーフィーの法則』、『バカはなおせる 脳を鍛える習慣、悪くする習慣』など、語学系や自己啓発系の書籍も手がける。

編集者 タジマ

通称 : タジマ

アスキー・メディアワークス第八編集部 英語&海外文芸課の編集者。2006年からドラゴンランスなどの海外ファンタジー全般を担当しています。趣味は漫画・ラジオ・アニメ・小説・音楽・映画・ネットと浅く広くをモットーにだいたい通じています(つもりです)。「目指せミリオンヒット!」、そして「D&D小説エバンジェリスト」として青春を編集にささげていく所存です。ちなみに画像は片耳の愛猫ハル。お尻を叩くとなぜか喜びます。

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